Guitar


 俺は、いつもアイツの背中を見ていた。見ていたんだ。
 原色の光が踊り、心を直接刺激するようなフレーズが生まれるステージで。
 俺は、いつもアイツの背中を見ていたよ。
 アイツはまるで、ギターを抱くようにして弾いていたんだ。

 曇り空の下、車を走らせる。握り締めたステアリングすら震えさせる、強烈なビート。いつだって、俺はロックを聴いていた。今までだってそうやってきたんだ。これからだって、きっとそうする。
 曇り空の下、こうして車を走らせていると、アイツのことを思い出す。
 アイツが死んだ日のことを。

「ロックは死なない」
 それがアイツの口癖で、たった一つの決め台詞だった。安っぽくて、使い古された、寒気の走るような台詞だ。
 でも、アイツはその言葉を愛した。ロックは死なない。
 細くて美しく研ぎ澄まされた六本のワイヤーを、アイツはとても優しく爪弾いたんだ。

 俺はいつも、ステージの一番後ろにいた。ドラムを叩いていた。自由に動く他の連中の背中を、一人で守っていた。
 ここからはステージも、観客席も、全てが見える。俺がそういうと、アイツは言ったんだ。
「そんなモンはどうでもいい。俺の背中を見てろ」
 だから俺は、見ていた。アイツの背中だけを、ずっと見ていたんだ。

 ロックを愛した人間は、決して自ら命を断つことはない。世界は希望に満ちてはいないかもしれない。絶望の方が、闇の方がずっと強いのかもしれない。
 でも、ここにはロックがある。それだけで、生きる意味はあるじゃないか?
 アイツが死んだのは、下らない交通事故だ。
 とばっちりの、運の悪い、巻き込まれただけの、交通事故。
 それだけのことでも、人は死ぬ。
 この世界にはロックは確かにある。でもきっと、神様なんていない。

 アイツの演奏はいつも我侭だった。気分屋で、我侭で、自分勝手だった。ソロになるといつも一人でリズムを乱した。
 下手くそで、褒められるのはノリだけ。見た目だってそれほど誇れるようなものじゃなかった。
 でも、アイツが気紛れに紡ぎだすフレーズは、誰の心をも奮わせた。虜にした。単純で、それこそ俺にだって弾けそうなフレーズなのに、アイツが弾いたときだけは、全く違う響き方をした。
 ギターに愛されていたのか、それともギターだけを愛していたのか。
 アイツは、きっと知らない。決して上手いとはいえないアイツのギターを、俺達全員が愛していたってことを。
 アイツが死んだ日。俺達の神様はいなくなっちまったのさ。

「懐かしい物が出てきたぜ」
 そう言われて、当時ベースを弾いていたテツに呼び出された。今では立派な会社員だ。スーツを着て、革靴を履いて、ロックをやっていたなんて誰にも悟らせない。
 アイツが死んで、俺達はロックを生み出すことを止めた。
 ボーカルの奴だけは、他のバンドに引き抜かれた。今でもラジオから時々声が聴こえてくる。その度に俺は、時間の流れを感じる。
 ロックは死なない。でも、錆付きはするんだろう。そう思ってしまう。
 テツが俺に見せてくれたのは、一本のビデオテープだった。
「これは?」
「俺達のライヴの映像だとさ。古い馴染みが秘密で撮ってたらしい」
 知らなかった。当時、俺達のライヴは録音、録画は絶対に禁止していたのだから。
 ロックは今ここにある。それだけで良いと、俺達は思っていた。
 どうやってビデオカメラを持ち込んだのだろう?
「見ようぜ」
 そう言うテツに、俺は複雑な顔を向けた。
 あの頃の俺達が、このビデオの中に残っている。
 変わることのない情熱と感情と野望と、フレーズが残っている。
 取り残されている。
「ああ」
 そう答えるだけで、精一杯だった。

 事故はそれほど大きなものではなかった。野良猫を避けようとした車が歩道に突っ込み、ガードレールを突き破った。それだけだ。
 たまたまそこに立っていたアイツが、巻き込まれただけ。
 曇り空の下、アイツは空を見上げて死んだ。
 夕暮れの少し前だったらしい。

 砂嵐が止むと、映像が流れ始めた。
 酷い手ブレだ。それに、音質だって酷い。でも、スクリーンにはちゃんと映し出されている。
 俺達の、ライヴだ。
 ボーカルの奴が客を煽り、俺が合いの手を入れるように短いソロを叩く。照明が落ちて、原色の光が帯びのように闇を切り裂く。
 客の叫びと、マーシャルから聞こえるゲインの効いた音。ピックスクラッチが、アイツのお気に入りだった。それにフランジャーをかける。とにかく派手な音が好きだった。
 スティックで4カウント。一曲目は、いつもお決まりだった。
「懐かしいな」
 そう言うテツに、何かを言い返そうとして、止めた。何と言っていいのか分からなかったから。
 3曲、4曲とハードな曲が続き、5曲目に短いバラード。ギターをアコースティックギターに持ち替えたアイツは、椅子に座って弾いている。
 目を閉じて、ゆっくりと、細長い指で弦を爪弾く。ピックは使っていない。甘い、とろけるような旋律が、聴こえる。
 6曲目。これが、アイツの一番のお気に入りだった。タイトルは「beam me up」。
 元気を下さい。
 カメラがアイツを映している。その少し後ろに、俺が映っていた。
 俺は、スクリーンの中の自分を見て、涙がこぼれた。
 俺は、とても退屈そうにドラムを叩いていた。動きだけは大仰にして、まるで苛立ちを吐き捨てるように……
(何で、そんな顔しか出来なかったんだ……!)
 アイツは、「俺の背中を見ていろ」と言ったのに。

 アンコールの前、ステージの上にアイツが一人で立った。そこまで見て初めて、俺はこのビデオがいつのライヴのものか思い出した。
 これは、俺に恋人が出来た次の日のライヴだ。
「意地っ張りで頑固な、愛すべき馬鹿野朗のために!」
 マイクでそう叫び、アイツはギターを弾き始めた。我侭で、適当で、雑で、下手くそな演奏を始めた。他の何よりも俺の背筋を痺れさせた、あのフレーズを奏で始めた。
 アイツはまるで、ギターを抱くようにして弾いている。
 ステージの中央で、たった一人で、スポットライトの煙るような白さの中で……
 アイツは、ギターを抱きしめていた。

 俺は、とめどなく流れ落ちる涙をそのままにして、アイツの姿を見ている。

 いつも、俺はアイツの背中を見ていた。
 アイツは、俺達の神様だった。
 アイツはまるで、ギターを抱くようにして弾いた。
 そのフレーズは、他の何よりも心を直に刺激してくれた。
 原色の光溢れるステージで、俺はアイツの背中を見ていた。
 アイツは、ギターを抱きしめて弾いた。

 アイツは、ギターを弾いたんだ。


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