薄い雲が今にも消え入りそうに頼り無く漂っている日のことだった。風は爽やかで、空は青い。言うことのない日向ぼっこ日和だった。

 そこは近所でも評判の猫屋敷で、僕は特にやることのない休日には良く足を運んでいた。縁側に腰を下ろして、たくさんの猫に囲まれて時間を過ごすのだ。
 ブロック塀に囲まれた庭はちょっとした広さがあって、猫はいつもそこでじゃれあったりして遊んでいた。土がむき出しになっている庭で、雨の日には大きな水溜りが幾つも出来た。晴れている日には気紛れにホースで水を撒く。乾いた土の匂いと、湿った土の匂い。それと、水の匂いが混じりあった贅沢な匂いを嗅ぐことが出来た。

 家はそれほど大きくはなかった。古い平屋建ての一軒家で、住んでいるのは友達の家族が四人。友達と、友達の両親と、友達の祖母。友達のいないときに遊びに行くと、お祖母ちゃんが出てきて「上がっていきなさい」と上機嫌に言ってくれたものだった。
 僕らの住む町は田舎で、遊ぶ場所には事欠かなかった。竹やぶや、採石場や、広いグラウンド。それとたくさんの友達の家。山道をちょっと外れれば冒険が出来るような、そんな町だった。
 でも、僕はその猫屋敷に良く遊びに行った。体を動かすのはそれほど好きじゃなかったし、何より猫が大好きだったから。
 日当たりの良い縁側で、薄く消え入りそうな雲を見上げたりして、僕は猫と日向ぼっこして過ごした。

 その日、友達がこう言った。
「凄い話、してやろうか?」
 僕の膝の上には、小さな虎縞の猫が一匹ちょこんと乗って眠っていた。時々耳と尻尾がぴくりと動く。それを見ているだけでも結構楽しい。何と言うか、気持ちがふわふわしてくる類の楽しさがある。
「ん……」
 僕の回りには虎縞の仔猫の他にもたくさんの猫がいた。白と黒のブチ、三毛猫、真っ白い猫、茶色の毛並みの猫。たくさんだ。それぞれに好き勝手な格好で目を閉じている。中には起きている猫もいるだろうけれど、その殆どは寝ているように見えた。
 僕の回りを取り囲むようにして、十匹くらいの猫が縁側に集まっていた。いつものことで慣れてしまっているけれど、これはちょっとした見物かもしれない。
「猫も夢を見るのかな?」
 友達の質問を無視するような形で、ふと思いついたことを言ってみた。この友達は普段は良い友達だけれど、時々悪ふざけが過ぎることがあるから。そういう時は見なくても分かる。声が妙にうきうきしているのだ。雨上がりの空に虹を見つけたときのように。
「猫は夢を見ないよ。夢は、辛い毎日のご褒美だからね。猫は毎日楽しく暮らしてるから、夢なんて見る必要もない。僕らとは違うんだよ」
 少し考えて、そんなもんだろうかと思った。でも納得出来なかったので何も言い返さなかった。空を見ると、雲はさっきよりもずっと長く、そして薄く伸びていた。多分上空の方は風が強いのだろう。ここはそうでもないけれど。
 猫が夢を見るとしたら、空を飛ぶ夢でも見るかもしれない。そして、雲の尻尾にじゃれつくのだ。入道雲の上に乗って昼寝をするのも良いかもしれない。
 とにかく、猫だって夢を見てもいいじゃないか。僕はそう思った。
「そうじゃないんだって。凄い話があるんだよ」
 溜め息が出そうになって、止めた。もしかしたら膝の上の猫が目を覚ましてしまうかもしれないから。目を覚ました猫は伸びをして、顔を洗って、耳を何度か動かす。それを見るのは確かに好きだったけれど、まだ目覚めるには早い時間だ。夕暮れまでは少し時間がある。
「なあ、聞きたいだろう?」
 友達の声が大きくなる。縁側だけじゃなく、ブロック塀の向こうの家にまで聞こえそうなくらい大きく。全く、猫が起きたらどうするつもりだろう? そんなだから猫に嫌われるんだ。
 彼は猫屋敷に住んでいるのに、何故か猫に嫌われていた。多分、本人の性格が猫そっくりだからだろうと思う。
 僕は仕方なしに、「聞きたいな」と言った。ここは友達の家なのだし、僕は約束もなしにいつもお邪魔している身なのだ。多少は友達を立てるべきかもしれない。
「ばあちゃんから聞いた話なんだけどさ」
 その前置きを聞いて、少しだけ安心した。彼の祖母は退屈な話はしない人だったからだ。少なくとも、この友達よりは全然楽しい話をしてくれる人だった。僕の大好きな大人の一人だ。
「猫って、世界を守ってるらしいぜ」
 僕は我慢していた溜め息と一緒に声を出した。
「……へぇ……」
 そもそも我慢する必要なんてなかったのかもしれない。どうせこの友達と話をしていればいつかは溜め息を吐くことになるのだから。幸い、膝の上の猫は僕の溜め息に気付かなかったようだった。
 広い庭では、何匹かの猫が同じように昼寝をしている最中。所々に固まって、気持ち良さそうな顔で眠っている。多分、そこが一番太陽の光が当たる場所なのだろう。猫はその家で一番居心地の良い場所を見つける天才だから。
 友達は僕の気のない相槌を無視して(気のない、という部分だけをだ)話を進める。
「猫ってさ、溜まり場みたいのを作るだろう? そこが、この世界の急所みたい所なんだってさ。で、猫はそこで眠りながら世界を守ってるんだって」
 その話だけを聞けば、それはそれで案外楽しそうな話だった。猫は眠りながら世界を守る。僕らは眠る猫に守られた世界で生きる。
 心地良いこの縁側での休日も、もっと楽しく感じられるかもしれない。
 僕は世界を守る猫と一緒に、日向ぼっこをしているのだから。
「それでな、猫に好かれる人は、猫と一緒に世界を守る役割があるんだってさ」
 友達が言ったことの意味が良く分からなかったから、僕はしばらく何も言わなかった。世界を守る役割?
「お前、すっごく猫に好かれてるじゃんか? だから多分、猫に選ばれたんだよ」
「……何に?」
「世界を守る、手助けをする役目に」
 友達の顔を見ると、目がきらきらと輝いていた。羨ましいと思っているのだろうか、それとも凄いと思っているのだろうか。
 庭先から一匹の三毛猫が縁側に飛び乗ってきた。僕の膝に顔をすり寄せて、大きく伸びをして、顔を洗ってから丸くなった。ごろんと。僕がその背中をゆっくりと撫でると、猫は気持ち良さそうに首を伸ばした。尻尾がふらふらと揺れて、ぺたんと落ちた。お日様の匂いがした。
「それは大変だね……」
 他人事のように言ってみる。他にどう言えば良いのか分からなかったから。
 猫屋敷の広い庭。その真ん中では、二匹の猫が空中を舞う何かに向かって賢明に手を伸ばしていた。多分面白い動きで飛んでいる虫でもいるのだろう。
 薄い雲が今にも消え入りそうに頼り無く漂っている日のことだった。風は爽やかで、空は青い。言うことのない日向ぼっこ日和だった。
 僕の友達は、時々しょうもないことを言って僕を楽しませてくれた。


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