全てに関する序文


 記憶の隅に引っかかっているもの。気持ち悪いもの。僕はそれらを思い出そうとして、止める。気持ち悪いと思ってしまうのは、それが辛い記憶だから。どうでも良いことだ。
 口だけが達者になってゆく。責任感が薄れてゆく。表面的には成長してゆく。
 僕は思う。人は生まれた時から徐々に退化して行くのではないか、と。それはただの思いつきではあるが、実感を伴う思いつきだ。
 正しいことをしようとすればする程に、理想の自分とのずれが大きくなって行く。そのずれはやがて溝になり、壁になってしまう。もう戻ることは出来ない。
 戻れないのなら、そのまま行ける所まで行ってしまえば良い。その方がすっきりする。何かにしがみ付いている内は、本当の意味では先に進めないと人は言う。でも、それが出来ないのは、最初の頃の自分を見失ってしまっているから。分かっている。誰でもない、自分が一番愚かだってことくらい。
 出来ることは限られていると誰かが言った。偉い人かもしれない。有名な人かもしれない。あるいは有名な人の台詞を友人の口から聞かされたのかもしれない。どちらにしろ、僕の台詞ではない。
 限られていると決めつけた時、それは確かに限られてしまうのかもしれない。限界を自分で決めてしまうのはどこか見当違いのような気がして、僕はそれを頑なに避けて来た。その気になれば何にでもなれる。そう言い続けていた。
 そんなことはあり得ない。
 何にでもなれる。そう思っていると、何になろうか迷ってしまう。迷うというのは少し違う。何にもなれなくなってしまう。努力しようにも、何をして良いのやら分からずに、無駄に時間を過ごしてしまう。その気になれば何にでもなれる。真理なのかもしれない。でも、その気にならなくては、何にもなれないのだ。そんな簡単なことに気付くのに、僕は二十年の歳月を必要とした。
 今、こうして文章を書くことに専念しているのには、幾つかの大きな理由と、幾つかの小さな理由がある。どれもこれも個人的な理由ばかりで、意味も価値もない。ただ書いていたいから、というシンプルな理由で文章を書ければどんなに幸せだろうか。僕は何をするのにも理由を求めてしまう悪癖を持っている。
 出来ないとは思っていなかった。元々器用だったし、趣味は読書だったから。それでも、自分は何一つとして手に入れていないということに気が付くのに、更にニ年の時間がかかった。趣味が読書というのはつまり、無趣味だということなのだから。
 本を読むのが好きだったが、その殆どが三文小説ばかりだった。それでも、三文小説というものにすら、僕の書く文章は劣っていた。気が付いた。役に立たないものは、何一つとしてない。役に立てるか立てないかは、本人次第。だから僕は最初から始めた。何も持たない場所から、何にもなれない自分からやりなおした。
 試行錯誤を繰り返し、僕は一つのスタイルを手に入れた。手に入れたと思っていた。だが、それですら評価されることはなかった。ある友人が言った。「お前は話を綺麗にまとめようとし過ぎている」分かっている。文章力の無さを誤魔化すために、駄文を連ねていたってことくらい。やっと分かりかけていた頃にそんなことを言われたものだから、酷く落ち込み、そして悩んだ。しばらく文章を書くことすら出来なかった。
 好きな話を何度も繰り返し読んでしまう。それには弊害が生じる。自分の文章なのか、その作家の文章なのか、その境界線が曖昧になってしまうことだ。あまりに好きだから、知らず知らずの内に文章が似通ってしまうのだろう。僕のスタイルは、また消えて行った。濃い霧の中をどこまでも歩いて行った祖父のように。
 一つだけ欲しいものがある。それは他人の視点から見た意見。批評。僕はただ文章を書くことだけを続けて来て、誰の目にもそれを触れさせようとはしなかった。出来なかった。子供の頃のように、夢をけなされるのが恐かったから。中学から高校に上がる時、僕は自分の意見や夢を周囲にけなされ、自暴自棄のまま進路を決定していた。当然、高校は中退した。同じ失敗を繰り返すには、僕はもう若くない。時間は確実に減ってきている。砂漠は広がり、南極の氷は溶けてゆく。砂時計の砂は湿気て固まってしまった。それでも時間は進む。
 今日まで文章、つまり話を書き続けて来たが、僕には代表作と言えるものがない。胸を張って人に見せられる話を持っていない。どれだけ沢山の話を書いても、たった一つの優れたものが書けなくては、何にもなれないままだ。分かっている。それほどこの世界は甘くはない。今までどれだけの先達が同じ苦悩を味わって来たのだろうか?僕はその苦悩の何十分の一しかまだ味わってはいないと思う。死ぬまで評価されなかった人もいたし、死んでから評価された人もいた。死んでなお評価されなかった人ももちろんいただろう。僕は、その中のどの部分に入るのだろうか?正直、知ってしまうのが恐ろしい。
 文章を書こうと思ったきっかけは、賞金だった。大賞を受賞すれば多大な賞金が手に入る。さあ書こう。大丈夫、僕は何にでもなれるのだから。当然、世界はそこまで甘くはない。そんな不純な動機で創られた話には、一片の価値も無い。悔やんで、悩んで、苦しんだ。僕はやっぱり、何にもなれないままなのだろうか?まだ決めつけるには早いと思い直し、文章を書き続ける。名著を読み、言葉を調べ、世の中を見て、自分なりの鉄則のようなものを見つけ出し、ひたすらに話を書き続けた。足取りは遅々としていたが、それでも確実に進歩していると信じていた。それはあっさりと打ち砕かれることになる。結局、一人で書いて読んで評価しているだけでは、閉鎖され限定された空間の中でのみ成長しているだけで、その先には何もありはしない。もっと広い世界に触れ、自分を変えなくてはならなかった。それを教えてくれたのは、友人と一冊の本だった。
 一冊の本が人に与える影響というのは、どれほどのものがあるのだろうか?少なくとも、僕はその一冊の本で世界観や価値観の全てがひっくり返った。目から鱗が落ちる、というのを初めて体験した。友人は言った。「ややこしいこと考えてないで、書きたいように書け」僕は書きたいように書いてみた。それは今までの自分を壊し、作り上げた鉄則を無視し、ただありのままに自分を表現した話だった。それを読み、彼は言った。「基本的には面白い」と。初めて、彼が僕の話を面白いと言ったのだ。「基本的に」ではあるが。
 僕に影響を与えた本と作家の名前は、あえて伏せておく。迷惑がかかるからなどという正しい気持ちからではなく、その人を正しく理解出来ていないかもしれないという恐怖からだ。その人を失望させてしまうのが何よりも恐ろしいからだ。だから僕は影響を受けた人の名前を絶対に公表はしない。
 何かを新しく始めるとき、常に期待と恐怖が付きまとう。僕はその二つを抱き締める。そして出来る限り現実と現状を見つめ、歩き出す。別に立派なことではない。ただ、あえてそうしないとどこに行けば良いのかを見失ってしまうからだ。
 これは序章に過ぎない。ただ、話を書き始める前に自分を整理しておきたかっただけだ。飛ばしてもらっても構わないし、読む価値もないだろう。
 振り返っても見えるのは下らないものばかり。前を見ても白く濁った霧に視界を覆われてしまっている。祖父はこんな気持ちだったのだろうか?
 この先は、嫌な話になるかもしれない。気持ち悪い話になるかもしれない。ただ、この話を僕の代表作として胸を張って発表出来るような、そんな話にしたい。僕に影響を与えてくれた人達を、失望させないように。
 綺麗にまとめようとせず、重く暗いイメージに取りつかれることなく、必要のない下卑た感情を捨て去り、書きたいことを書きたいように書こう。僕はまだ、素人ですらないのだから。
 さあ、話を書こう。今の自分の全てを。
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