僕とふくろう


 ある夜の出来事だ。
 僕はふと、何かに呼ばれるように目を覚ました。ぼんやりとした頭を振って体を起こす。何だろう?背中の辺りが酷くむずむずする。瞼を擦りながら、手探りで明りをつけた。
「ねえ、ちょっと」
声は窓の外からした。僕は何の躊躇いも恐怖もなくベッドから起き上がり、窓を開けた。普段の僕ならば怯えてしまい、布団を被って寝てしまうだろう。でも、寝ぼけている時というのは感情がどこかいびつなのだ。
 夜の冷たくて濃い空気が部屋に忍び込み、僕の背筋を縮み上がらせた。窓の外はどうやら満月のようで、それなりに明るかった。だから僕は声の主の姿をそれなりにはっきりと見ることが出来た。
 声の主は、ふくろうだった。
「ねえ、月がとても綺麗ですよ」ふくろうは「ほうほう」と鳴きながらそう言った。とても聞き取り辛い声だった。僕は瞬きを五回して、それから聞き返した。「月が綺麗?」当たり前じゃないか。月はいつでもどこでも綺麗なものだ。銀色だし、太陽よりも優しいし、何より手が届かない。綺麗だ。
「月が綺麗ですよ。外に出て見て下さいよ」そうしよう。
 僕は玄関に回って、扉の鍵を開けて、靴を履いて外に出た。
 外はとても寒かったけれど、すぐに慣れた。とても寒いのに、それはどこか懐かしい寒さだった。悪くない。
 僕が庭まで歩いて行くと、ふくろうが飛んで来て僕の肩に乗った。「さあ、空を見て下さいな」見上げる。なるほど、確かに綺麗だ。でも月は銀色ではなく、金色だった。それでも綺麗だ。とても綺麗で優しい満月だ。「行きましょう」とふくろう。
「行く?どこへ?」僕はやっと目が醒めかけていたところだった。何を言われても反応が遅れてしまう。言われた言葉を言葉だと理解して、それを噛み砕いて意味を理解し、それに対して反応をするのに時間がかかる。それに、ふくろうの声はとても聞き取り辛い。
「空ですよ」「空?」オウム返しに訊く。「空に行くって、どうやって?」何だか背中がむずむずしてきた。
「簡単です。飛べば良いんですよ」簡単なのだろうか?試しに僕は軽く飛び跳ねてみた。駄目だ、飛べない。
「飛べないよ。そもそも人が空を飛ぶっていうこと自体無理な問題なんだ。僕はそろそろ寝るよ。何しろまだ眠いしね」そう、眠い。出来ることなら今すぐ布団に、それもまだ温もりの失われていない温かな布団に潜り込みたい。寒いし、眠い。
「大丈夫、飛べますよ。その背中の翼は飾りじゃない」「翼?」オウム返し。我ながら間抜けだ。
 ばさっと音がした。本当だ。背中に大きな翼が生えている。どうしよう?
「ねえ、どうしよう?翼が生えているよ」困ったことになった。これじゃあどうやって布団で眠れば良いのか分からない。椅子に座って毛布に包まって寝るしかないのだろうか?でも、それでは酷く疲れそうだ。
「簡単です。飛べば良いんですよ」簡単に言ってくれる。全く……
 僕は背中の翼が動くがどうか試してみた。バサバサ、バサバサ。ちゃんと動く。困ったことに。どこにそんな筋肉がついているのだろう?そもそも僕の体重で空を飛べるのだろうか?鳥は骨格から筋肉のバランスまで計算し尽くされた生き物だから飛ぶことが出来るけれど、僕は二足歩行がメインの人間だ。空を飛ぶには少し不恰好な体をしている。
 僕がそのことをふくろうに説明すると(つまり、鳥類が空を飛ぶことの出来る限界重量の話や、人間の体ではどう頑張っても空を飛べないということだ)、ふくろうはほうほう、と言った。「そんなことは知っています」
 僕はだんだん腹が立って来た。このふくろうは僕をからかっているのだ。僕が困っているのを見て楽しんでいるのだ。もしかしたらこの背中に生えてしまった翼もふくろうの仕業かもしれない。だとしたらちょっと簡単には許せない。おかげで僕は明日から見世物小屋行き決定だ。そもそもこのご時世に見世物小屋なんてあるのだろうか?明日の朝一番で調べてみよう。観光協会に電話して訊くのだ。「見世物小屋ってあるでしょうか?」電話係はこう言うだろう?「どういったご用件でそのような場所をお探しなのでしょうか?」僕は事情を説明しようとするが、どう考えても現実離れしている。冗談にしても気の利かない冗談だ。「つまり、背中に翼が生えたんですけどね、僕を見世物にしてくれるような見世物小屋はありませんかね?」こんなことは言えない。困ったことだ。
「飛べますよ。大丈夫、翼があれば誰でも、何でも飛べるんですよ。イカロスの話を知っているでしょう?」
 知っている、と僕は答えた。でもあれは歌の話だし(神話の話だったかもしれない)、結末を知っている僕としてはあまり賛成したくはなかった。イカロスと同じ蝋で固めた鳥の羽根で作った翼ではないから、溶けてしまうということはないとしても。それに今は夜だし、とても寒い。月の光で蝋が溶けてしまうという話は聞いたことがないから、その点は大丈夫だろう。
それでもこの翼がいつ消えるかもはっきりしないのだ。そう考えると見世物小屋でも使ってもらえそうもない。やれやれ、と僕は思った。事態が理解の範疇を超えてしまっている。
 それでも現に背中に翼は生えているし、自由に動く。ふくろうは僕の肩にとまってしゃべっている。そういえばしゃべるふくろうというのも稀有な存在だ。こっちこそ見世物小屋が向いているかもしれない。オウムよりは見世物小屋向きだ。ほうほう。
「さあ、飛びましょう。幸い今夜は月が綺麗です。どこまで行っても帰り道を見失うことはありませんよ」ふくろうは僕の肩に乗ったまま、首をくるりと回した。実に器用だ。
 僕は考えた。だんだんと冷たくなってきた掌を擦り合わせながら。もしも本当に飛べるのなら、一度くらいは飛んでみても良いかもしれない。空を飛ぶというのは誰もが一度は憧れることではあるし、話のネタにはなるだろう。吐く息が白い。まるで蒸気機関車のようだ。
 僕は改めて翼を広げてみた。首を回して横目で背中に生えてしまった翼を見る。
「……黒い」さっきは気付かなかったが、僕の翼は真っ黒だった。鴉のように光沢のある黒ではなく、もっと味気ない艶消しの黒だ。墨汁で塗りたくられた半紙のような黒。なんだか自分が悪役にでもなった気がする。
 まあ、それでも今は夜だし、黒い翼は闇に紛れてくれるだろう。擬態というヤツだ。そう思うと真っ黒な翼も悪くはない。後はこの寒さをどうするかだ。
「ねえ、僕はとても寒いのだけれど、どうすれば良いだろう?」肩に乗ったふくろうに訊く。
「大丈夫ですよ」「何が?」「飛ぶというのは結構な重労働ですからね、この位の寒さなら涼しくて気持ち良いくらいです」そうなのだろうか?
 それでも僕は一応手袋とマフラーを取って来ると言って、ふくろうに肩から降りてもらった。家の中に戻り、洋服かけから茶色の毛糸の手袋と、灰色のマフラーを取った。念の為靴下も二枚履いた。やはり毛糸の温かい靴下だ。帽子とゴーグルもあった方が良いかもしれない。
「ねえ、まだですか?」窓の外でふくろうが僕を急かすように翼を広げている。「もうちょっと待って」
 白いニットキャップを被る。ゴーグルはどうしても見つからなかったので、仕方なく色の薄いサングラスで我慢した。要は風から目を守れれば良いのだ。
 机の引出しから財布と懐中時計を取り出してパジャマのポケットに入れる。本当はコートも羽織りたいけれど、翼があるので諦めた。そもそも僕の翼はどうやって生えているのだろう?パジャマの背中の部分を突き破って出ているのだろうか?自分の背中はどう頑張っても見えないので、僕はそれについては考えないことにした。実際に翼は生えているのだし、こうして動かすことも出来る。パジャマだけでは寒いかもしれないが、ふくろうの言うように飛んでいれば疲れて汗をかくかもしれない。暑いくらいに。
「おまたせ」「これはこれは……完全装備ですね」「まあ、一応は」「良いでしょう。それくらい慎重で堅実な方が長生き出来ますよ。さあ、それでは行きましょうか」
 ふくろうが大きく一つ羽ばたき、地面を蹴って飛び上がった。重力が彼の回りだけ失われてしまったかのように、ふくろうは真っ直ぐに夜空へと舞い上がって行く。「さあ、貴方も早く」
 僕は彼と同じように背中の翼を大きく広げて、一度羽ばたかせてから地面を思い切り蹴った。
 バサッ!
 背中の翼はとても自然に動き、風を捕まえる。僕の体を持ち上げるくらいは何てこと無いのだろう、軽々と体は宙へと昇り、ふくろうの隣まで舞い上がった。「すごい!」と僕は興奮して言った。「本当に飛べた!」
 まるで夢のようだ。それでも実際に僕は飛んでいる。足元がふわふわして少し落ち着かないけれど、代わりに翼がしっかりと風を捕まえてくれているので、僕は安心することが出来た。
 ちょっとだけ飛んでみて分かったが、なるほど確かに重労働だ。どこの筋肉が翼を動かしているのかは分からないけれど、体がだんだんと暑くなってきた。
「ほら、飛べたでしょう?」「うん」「翼のある生き物が飛べない訳がないじゃないですか。それに、私は出来る限り嘘は吐かないように努力しているんです」ちょっとだけ誇らしげなふくろうに、僕は「ごめん」と小さく謝った。そんなことよりも、今はこうして空を飛んでいることの方がよっぽど重要だ。
 月の柔らかな光に照らされて、僕の家はうっすらと金色に輝いていた。でも、それもずっと下の方に小さく見えるだけで、どこが玄関でどこが僕の部屋なのかは分からない。もちろんそれ以外にも色々な物が見える。
 オレンジ色の街灯に照らされた橋、長い坂道、明るい電気のついた深夜営業の店、道路を走っているトレーラー、月の光のおかげで夜空との境目がはっきりと見える山並み、それと、遠くには幾つもの街が見える。僕は本当に空を飛んでいるのだ。
 ほとんど真正面に金色の満月が見えた。それは地面から見上げるのよりもずっと大きくて、近くに見えた。
「それじゃあ行きましょうか」ふくろうは滑るようにして前へと進む。「どこへ?」「月を目指して、どこまでも」彼は上等の詩を吟じるように言った。なるほど、それは確かに素敵なことだ。僕は何も言わず、彼について前へと――満月の方角へと進んだ。

 誰にも何も語らず、ただそこに在る満月。
 淡い光を漆黒の夜へと浸透させ、夜空を深い蒼に見せる満月。
 そんな金色の満月が、僕には夜の出口に見えた。

「見て下さい、街の光が綺麗ですよ」
 ふくろうが聞き取り辛い声でそう言う。僕はそんなことよりも、空を飛んでいることに気を取られていた。地面よりも空の方がずっと楽しい。
 翼で風を捕まえるのに初めは難儀したけれど、今では翼が勝手にやってくれる。僕は空を飛ぶことの爽快感だけをしっかりと感じていた。かなりの速度で飛んでいる。もしも地上だったらスピード違反で捕まってしまうだろう。それでも僕がいる場所は空の上で、地面の上ではない。飛行機にも制限速度はあるのだろうか?
 どちらにしろ、僕は飛行機でも自動車でもないし、ましてや誰に迷惑をかけている訳でもない。ふくろうに誘われるままに夜空に飛び立ち、こうして月を目指しているだけだ。何か悪いことがあるだろうか?そもそも翼が生えてしまったのは僕のせいではないし、折角翼が生えたのだから空を飛ばなくては損だ。そして、どうせ空を飛ぶならより気持ち良く飛びたい。ほうほう。
「ねぇ、聞こえてますか?」と、ふくろうが心配そうに言った。風が耳の回りを走り抜けて行くので、かなり聞き取り辛い。「大丈夫だよ」
「気を付けて下さいね。初めて空を飛ぶ人の中には、たまに自分が何をしているのか分からなくなってしまう人もいるんですから」「そうなのかい?」「ええ。私達はもう慣れていますが、人は地面の上を歩く生き物ですからね、広い空にぽかんと浮かんでいると自分と空との境界線が曖昧になってしまうみたいですよ」「すると……」僕はふくろうの言葉を聞いて、幾つかのことを考えた。
 まず一つ目は、僕以外にもこうして空を飛ぶことの出来る人がいるらしいということ。二つ目に、人は地面がなくてはとても中途半端な生き物だということ。最後に、僕は大丈夫ということだった。
「大丈夫」と僕は言った。「夜空と僕との境目ははっきりと分かるよ。今夜は満月だしね」
 月を見て、僕は目を細めた。昼間の青空に浮かぶ太陽と違って、真っ暗な夜空に浮かぶ月は真っ直ぐに見つめても目が痛くなることはない。太陽の光を受けて、自分を輝かせている月。僕はその光で自分をしっかりと見つめている。手を目の前に掲げてみると、金色の粉が僕の体を覆っているようにも見える。何故か嬉しくて、僕は少しだけ泣いてしまいそうになった。
「それよりも、街の光が綺麗ですよ。滅多に見られることじゃないから、しっかりと見ておいた方が良いですよ」ふくろうも少し嬉しそうだった。おどけるように高度を上げたり下げたりしている。ほうほう。
「そうだね」と答えて、僕は街を見下ろした。正直僕は街の光なんて見たくはなかったけれど、滅多に見られないというふくろうの言葉に後押しされて見下ろしてみた。
「自分達がどんな場所で暮しているのか。自分達が他の世界から見ればどんな生き物に見えるのか。私達と同じ視点で良く見ておいて下さい」
 ふくろうの言葉は、まるで年老いた哲学者のように不思議に僕を震わせた。そこには何かしら深い意味があるようにも思える。でも、僕はそんな深遠で壮大なことを考えるにはちょっとだけ若い。だから僕は言われた通りにただ街の姿を目に焼き付けようとした。
 深夜の街はほとんどの人が寝静まっているので、ミニチュア模型の地図のような雰囲気だった。道の両脇にだけ街灯があって、それに挟まれるようにして時々車が通る。原色の光を撒き散らしているのは、多分繁華街だろう。その一画だけは夜も昼も関係なく、原色の光が溢れている。僕はクリスマスツリーを思い出した。でもクリスマスツリーはそれほどたくさんの色では輝かないし、しばらくすれば物置の隅に仕舞われてしまう。繁華街は年中無休で盛っている。僕は少しだけふくろうの言いたかったことが分かった。
 でも、僕らはこのようにして生きることを自分で選んだ訳ではない。無責任な言い分かもしれないけれど、これらの全ては僕らが生まれる前に既に出来上がっていた。僕らはそのシステムというか構造というか、抽象的な言い方をするなら流れを受け継いだだけだ。限られた選択肢の中でしか僕らは道を選ぶことは出来なかった。何か新しいことを始めようとすると、誰もが口を揃えてこう言った。「でたらめだ」と。
 原色の光も、休まない繁華街も、山を貫くトンネルも、海の上まで走る道路も、僕らは引き継いだだけだ。そして僕らは引き継いだ流れを更に先に進める。引き継いだのは目に見える物だけでなく、「こうありたい、またはあるべき」という意思そのものなのだから。でも、それは誰が考えたのだろう?
 ともあれ、それでも街の光は綺麗で、僕の心は浮き立った。何だか踊り出したい気分だ。空を飛んでいる僕は踊れないので、くるりと回転をしてみた。上と下が逆になって、戻る。とっても気持ちが良い。
「上手ですね。もしかしたら私よりも上手かもしれない」「ありがとう。お世辞でも嬉しいよ」「いやいや」
 ふくろうと僕はしばらくアクロバットで競うようにして飛んだ。いつの間にか街の上を通り過ぎて、僕らは海の匂いを感じていた。夜の寒さは全く感じなくなっている。不思議なものだ。
 きっと、空を飛ぶという行為の与えてくれる刺激が、寒いという感覚を飛び越してしまうからだろう。寒さよりも、次は何を見ることが出来るのかという期待の方がずっと大きい。僕は試しにサングラスを取ってみた。……大丈夫、目は乾かない。風は確かに強いけれど、目を開けられない程ではない。もしかしたら翼が生えてしまったことで、僕の体は全部空を飛ぶ用に変わってしまったのかもしれない。そう思うと、とても楽しくなった。何も気にすることなく、誰に気兼ねすることなく、僕は僕の自前の翼で空を飛べるのだ。こんなにも喜ばしいことはない。
 海の匂いが強くなる。「もうすぐ海です」とふくろうが言ったが、僕はそんなことは分かりきっていたので何も答えなかった。ふくろうは考え事でもしているのだろうと思ったらしく、しばらく黙って翼で風を切っていた。

 変わるもの、変わらないもの。変わってしまうもの、変えられないもの。
 時間は流れるし、僕はいつまでも子供のままじゃない。
 部屋の中で哀しく窓の外を覗っているだけの、寂しい子供じゃない。

 ふくろうよりも早く、僕は海を見つけた。速度を落として、胸一杯に潮風を吸い込む。夜の潮風は昼間の潮風よりもずっと濃密で、広がりのある匂いがした。いつまで経っても残っているような、そんな力強い匂いがした。
「海が見えますか?」ふくろうがそう言う。僕は黙って頷いた。僕の声は強い潮風に捕まってしまい、喉から先には出ないだろうと思ったから。
「砂浜に下りましょう。私達の翼では海までは越えられませんからね」僕はまた黙って頷く。
 そのまま真っ直ぐ飛んで、僕は海を見た。それまでの地形とは違って、海はほとんど平らだった。それでも小さな波は幾つも幾つも押し寄せ、その一つ一つには小さな月の断片が映っていた。海が星空を飲み込んでしまったような光景に、僕は目を逸らすことが出来なかった。だからふくろうが「下りますよ」と言うまで、じっと星の海を見つめていた。
 浜辺に下りた。
 風はとても穏やかで、あまり寒くはない。翼のはためく音もないので、静かに潮騒を聞くことが出来る。止まることも終わることもなく押し寄せる波。月の光を砕いて星にして、僕の元まで届けてくれる。
「海まで来るのは久しぶりですよ。もちろん初めてではありませんがね」
「僕もそうだよ。とても小さな頃に皆で遊びに来た時以来だ。もっともあの時は夏で、おまけに昼間だったからとても暑かったけれどね」
「どうです?それほど寒くはないでしょう?」
「うん。寒くないし、それほど疲れてもいないよ」
「それは良かった。時々いるんですよ、あまりに空が気持ち良いものだから、はしゃぎ過ぎて疲れ果ててしまう人が。そうなると私が運ばなくてはなりませんからね」
 どうやらこのふくろうはとても力持ちらしい。ほうほう。
 月の光と海の匂いと、波の音。僕はその中で立ち、ふくろうは僕の肩に乗っている。夏場は海水浴場として賑わうこの浜辺も、今は僕らだけしかいない。どうしてこんなに素晴らしいものを見ようとはしないのだろう?僕は何も知らずに眠っている人達を可哀想だと思った。そして、背中に突然生えてくれた翼と、僕を夜に誘ってくれたふくろうに感謝した。
「この海を見て、何を思いますか?」
 ふくろうの質問はまた哲学的に僕の耳に届いた。僕は思う。じっと海を見つめたまま。
 海はキラキラと光り、その姿を変え続けている。夜の空の色を映して、月の光を取り込んで。背中の翼が、一度だけ勝手に羽ばたいた。
「何も言わないで、その気持ちを憶えていて下さい。今のその気持ちを忘れなければ、貴方は素敵な大人になれるはずです」
 ふくろうの大人びた声が、僕の耳をくすぐった。
 彼が何を言いたいのかは分からなかったけれど、僕は取り敢えず今の気持ちを忘れないように、そのまましばらく海を見つめていた。いつまで見ていても飽きることはないと、そう思った。
 背中の翼は僕を夜風の寒さから守るように、体を包み込んでくれた。とても便利な翼だ。それにとても暖かい。ちょっとだけ匂いをかいでみると、翼からは夜の匂いがした。真っ黒な色は、きっと夜に染まっているからなのだろうと思った。空には満月が浮かんでいる。海はきっと、僕がいなくなっても月を映すのだろう。そして朝日が昇れば朝日を映して、赤と青の真ん中の色になる。海は青いだけじゃない。一日に何度もその色を変えて、それでもずっとそこに広がっている。ふくろうと僕は、呼吸の音すら抑えて、沈黙の中でその光景を眺めていた。

 足を一歩前に進めるたび、そこには新しい世界が広がる。
 僕はその世界を真っ直ぐに見つめ、細かい部分まで目に焼き付ける。同じ瞬間は二度と訪れないから。
 そして考える。次の一歩をどこに向けるのか。
 最後に目指す場所は、どこなのか。

「まだ連れて行きたい場所があるんです」とふくろうが言った。僕ははそれまで自分の創った世界で立っていた。海と満月と翼と僕。もちろんその中にふくろうもいたけれど、そこには台詞はなかった。そういうルールだったのだ。自分で勝手にそういう風に思い込んでいたので、突然のふくろうの言葉にはかなり驚いた。
 ふくろうの言葉、それ自体はそう異常な言葉ではなかった。その言葉は冬の始めにひらりと舞い降りる一片の雪のように感じた。そう、また冬が来るのだ。
 そして、僕らは何を感じるのだろう?
「このまま朝までここにいられれば良いのですが、そういう訳にもいかないんです。そういう決まりなもので」
 ふくろうは少しだけ申し訳なさそうに言った。
「決まりじゃあ仕方ないね。それに、僕もこの景色と気持ちをしっかりと忘れないように憶えたから、もう大丈夫だと思う。違う場所に行くのなら、それも良いよ」
「良かった」とふくろうは胸を撫で下ろしたような仕草をした。そして首を上げ、回し、瞬きをして、僕の方を見た。「月を左手に見て、海岸沿いを行きましょう」
 バサバサ……
 ふくろうは躊躇うことなく飛び立った。僕も背中の翼を広げて、砂浜を蹴った。足の下で砂が擦れ、舞い上がり、金色の光を受け入れた。翼の立てる風に掻き乱された金色の光は、あるいは波にさらわれ、あるいは風にのり、またあるいは僕の体にくっついた。僕は最後に口の中で小さくその光景にお別れを告げた。簡単に、「さよなら」とだけ。

「行きますよ」「うん。でも、もうすぐ朝日が昇るんじゃないのかな?」
 僕はパジャマのポケットから懐中時計を取り出して、時間を見た。冬だから日の出は遅いけれど、そう先の話でもない。だんだんと夜の空気も薄くなってきている。朝がそこまで来ているのかもしれない。
「まだ大丈夫ですよ。心配しなくても朝日は待ってくれます。夜はまだ終わらない」
 ふくろうはそう言って進む。月を左手に見て、海岸沿いを。
 足元には色々なものが見えた。海岸線は出たり入ったりを繰り返し、時には川が海に流れ込んでいた。小さな町が点在し、その一つ一つには人の生活がまた始まる前の静かな光がぼんやりと輝いている。誰もが夢の中で、それぞれの世界へと旅立っているのだろう。そして僕は空を飛んでいる。
 森や林もあった。畑もあった。開発された地域では、海沿いの道路で赤い車が止まっていた。あの車の中では、きっと誰かが朝を待っているのだろう。シートを倒して、缶コーヒーを飲みながら。音楽は何を聴いているのだろう?ラジオは何を歌っているのだろう?
「山が見えました。あの山に行きますよ」と、ふくろう。僕は頷いて、ふくろうの後を追いかける。
 月が見えなくなってしまったけれど、月の光は地上を照らしている。僕の黒い翼も月の光に照らされているのだろう。背中に月を背負って、僕らは山を目指した。
「遠くまで来たね」と僕が言った。「そうでもありませんよ。まだまだこれからです」ふくろうはまだまだ元気なようだ。でも、このまま僕が家に帰らないままに朝が来てしまえば、誰かが僕の姿を見つけるだろう。空を飛ぶ、黒い翼を持った少年。その内の一人くらいは写真を取ってしまうかもしれない。そうなれば僕の噂で街はもちきりになってしまう。テレビが取材に来るかもしれない。研究したいという生物学者も来るかもしれない。そうなると僕はあまり落ち着かない毎日を送るはめになってしまうだろう。そう考えると嫌な気分になった。
 嫌な気分になってしまったので、僕は何も考えないことにした。夜は月が綺麗だし、空を飛ぶことは何よりも気持ち良い。それだけだ。
 目の前にある山は結構な大きさで、木々が鬱蒼と生い茂っている。触れば痛そうな峰が四方に広がっている。その全ては洩らすことなく月の光を吸収して、静かに眠っているかのように見えた。
 そんな山にも、一本の道が続いている。オレンジ色の街灯が点々と道を縁取って、まるで蛇のようだ。一体ふくろうは僕をどこに連れて行きたいのだろう?
「そろそろ下りますよ」唐突にそう言われた。振り向くとふくろうは既に降下を始めている。考え事に集中し過ぎたらしい。僕は慌てて翼を起こし、ゆっくりと高度を下げ始めた。
 ふくろうが降りたのは、ぐねぐねと続く峠道の途中にある駐車場だった。そこからは街が一望出来る。僕の知らない街が。自動販売機が一台だけあって、その光は今にも消えてしまいそうに明滅を繰り返していた。車は一台もいないし、当然街の光を見物している人もいない。端にはゴミまで捨てられている。いつ放棄されてもおかしくはないような、そんな打ちひしがれた感じの駐車場だった。
 ふくろうが僕をここに連れて来た理由を考える。彼は僕に何を見せたかったのだろう。
 森の中にある駐車場。山の中腹にある駐車場。街の見下ろせる駐車場。誰もいない駐車場……
「さて、何か飲みましょう」ふくろうは自販機の前で僕を手招きした。「私はココアがいいですね。お金、持っていますか?」「まあね」「すみませんが、ご馳走してくれませんかね?」
 僕はしぶしぶ温かいココアとコーヒーを買った。「開けてもらえるともっと嬉しいですね」プルタブを開け、ココアをふくろうに手渡した。僕もコーヒーを開け、一口飲んだ。コーヒーが喉を滑り降りて行くのを感じて、僕がけっこう喉が乾いていたことを知った。そういえば起きてから何も飲んでいなかった。
「しかし、人はおいしいものを飲んでいますね」ふくろうは器用に翼で缶を持ち、その短い嘴でちょっとずつココアを飲んでいる。その仕草はどこかコミカルで、微笑ましいものだった。
「しかし、君は僕に何を見せたかったんだい?」
 コーヒーを飲みながら、そう訊く。どんなに考えてみても、ここに来た理由が分からない。
「ここを見てどう思いましたか?」またあの口調だ。一生懸命考えなくてはいけないような気にさせる、哲学者の問い掛け。仕方なしに僕はまた頭を働かせる。
 駐車場はさっき見た時と全く変わってはいない。当たり前だ。ゴミはあるし、アスファルトはひび割れている。街と月と山が見えて、冬でも葉を着けている木々の枝が擦れるさわさわという音が聞こえる。自販機は少しだけ長く消えて、また持ち直した。春までは保ちそうにない。
 森を見る。真っ暗な森。手を伸ばせば引っ張られてしまいそうな雰囲気の森。自然のまま残っているのだろうか、それとも植林されて出来たものなのか、僕には分からない。ただ、森の中までは月の光が届かないから、暗闇がもっそりとそこにいるのが見える。
 今夜は月が明るいから良いけれど、月の隠れている夜はどうなのだろう?もしかしたら森の中の暗闇はこの駐車場をも飲み込んでしまうかもしれない。そして、その暗闇は山を飲み込んで、街まで下りて行くのだ。全ての暗闇は、この森から溢れているのかもしれない。
 でもそんなことはないだろう。暗闇はどこにでもあるし、昼間でも満月の夜でも、いつでもある。そういうものだ。それならばふくろうは何を伝えたいのだろう?この古びて朽ちかけた駐車場で。
「この駐車場、次の春には取り壊されるそうです」
 独り言のようにふくろうは言った。それは短い世間話を始めた老人のようで、僕は聞き入ってしまった。
「何でもあまり誉められないことにばかり使われるそうなので、ここを取り壊して木を植えるそうです」
 僕は何も言わず、コーヒーを飲みながら彼の話を聞き続ける。
「でも、そうやって作られた森はここ以外の森とは違う。自然に出来た森と人の手で作られた森は、同じに見えても少しだけ違うんです」
 ふくろうはココアを飲み、大きくため息をついた。自販機がまた長く消えた。春まで保つ必要は無いのだろう。彼も時々気を抜いて、昔の思い出に浸っているのかもしれない。
「この駐車場を作るとき、私の仲間が住処を追われました。ねずみも、いたちも、たぬきも、からすも住処を追われました。彼らがどこに行ったのか、私は知りません。元気にやっているでしょうか?」
 ふくろうの言いたいことが少しだけ分かった。でも、僕はそれを分かってしまってはいけないような気がした。僕は人間で、そして彼はふくろうなのだから。
「この場所が駐車場になってからしばらくは、夜景を見下ろして愛を語り合う恋人達が良く訪れていたそうです。でも、それからすぐに良くないことに使われるようになってしまった」
 僕は黙って彼の言葉を聞くしかない。どうもそういう役割のようだ。
「そしてここがまた森に戻れば、新しくここに住む仲間も出て来るでしょう。私達の住処は年々少なくなっていますからね。喜ばしいことです」
 少なくとも、このふくろうは僕ら人間のことを恨んではいないようだった。むしろ、新しい住処が出来ることに感謝しているようにも見える。
 あるがままに、なすがままに、流れるままに、そのままに……
 そんな歌詞が頭の中に響いた。僕は少しだけ、ふくろうの伝えたかったことが理解出来た。
「さて、そろそろ行きましょう。少し長く話してしまったようだ。そろそろ朝が来てしまう」
 ふくろうはココアの空き缶をきちんとゴミ箱に入れた。僕も入れた。
「ココアをどうもありがとう」とふくろうは言って、翼の具合を確かめた。やっぱりコミカルだ。ほうほう。
「次はどこへ?」と僕。「そろそろ戻りましょう。夜が明ければ朝が来てしまう。月ももう大分傾いてしまいましたからね」ふくろうが飛び立ち、僕も飛び立つ。「目指す場所は、貴方の家です」

 夜は来る。夜は続く。
 夜は繰り返される。それでも、夜は終わる。
 夜の終わりは朝日が教えてくれる。
 満月とは違う金色に世界の縁を彩ってくれる、燃えるような朝日が。

 夜の空気はもう随分と薄くなってしまった。満月の色もちょっとずつ薄くなっている。朝になってしまえばあの月も金色の輝きを奪われ、ぼんやりと白いだけの丸になってしまう。ちょっと寂しいけれど、それでもいつかまたこの満月には出会うことが出来ると思う。
「もうすぐ貴方の家に着きますよ」ふくろうが言う。聞き取り辛いその声にも、もう慣れてしまった。慣れてしまうということは、それが普通になってしまうということ。このふくろうと分かれて、この聞き取り辛い声が聞けなくなってしまうと思うと、少しだけ寂しい。
 終わりはいつでも必ずやってくるし、それは避けることが出来ない。でも、もしも次の始まりがあるのなら……
 僕は、笑って別れることが出来るだろう。
 そのことをふくろうに訊こうと思ったけれど、止めておいた。そんなことは訊くべきじゃないと思った。せっかくこうして素晴らしい夜を提供してくれたのだから、このままの気分で別れたい。それが満月の哲学者に対する一番の礼儀で、感謝の意思表明のような気がする。これだけは間違っていないと思う。
 見慣れた風景が見える。公園、駅、学校、そして橋。僕らは帰って来た。
「随分と長い間飛んでいた気がするな。この翼も僕に馴染んでくれたみたいだし」
「今夜はどうもおつかれさまでした。貴方とお話が出来て嬉しかったですよ」
「僕もだよ。君にはたくさん大切なことを教えてもらった気がする。空を飛ぶことの気持ち良さも含めてね」
「そう言ってもらえると私も嬉しいですよ。でも、ここまでにしましょう。貴方は貴方の世界に戻る。私は森に戻る」
「もし、僕が君を君の森まで送るって言ったら迷惑かな?」
 もう少しだけ、こうして不思議な話をしていたかった。例え別れが避けられないものだとしても。
 ふくろうは黙って首を振った。もう僕の家はほとんど真下に見える。
 別れは、来てしまった。
「見て下さい。夜が明けます」ふくろうに言われた通り、僕は東の空が赤く燃え上がるのを見た。それはとても明るくて、眩しくて、嬉しくて……僕はまた泣いてしまいそうだった。
「朝になれば、貴方達はいつもと同じ生活を始めなくてはなりません。もう夜は終わりなんです」
「でも、君を森に送るくらいは良いだろう?せめてもう一つだけ何かについて話してみたいんだ」
「仕方ないですね。それでは簡単に……」
 ふくろうはその場に留まりながら羽ばたいている。僕の翼も自然とその動きを真似ている。
「どうして貴方の背中に翼が生えたのか、不思議には思いませんでしたか?」
 聞き馴染んだ哲学者の言葉。でも、それは遺言のようにしか聞こえなかった。もしくは、別れる友人に送る最後の言葉にしか。
「でも、どんなに不思議でも僕の背中に翼が生えたのは事実だし、空を飛んでいたことも嘘じゃない。街の光も、あの海の匂いも、森の暗闇も、缶コーヒーの味も僕ははっきりと覚えている。もちろん君の言葉もね。それだけで良いんじゃないのかな?」
「そう。それだけで良いんです。でも、翼が生えたことには理由がある。何故貴方の背中に翼が生えたのか、それも真っ黒な大きい翼が。このことにはちゃんとした理由があるし、理由がなくては人の背中には翼は生えないんです。翼を持たない人が空を飛ぶことが出来ないようにね」
「でも、翼を持っていれば空を飛ぶことが出来る。どんな常識も、これまで詰め込んで来た知識も関係無い」
「そういうことです。その理由を少しだけ考えてみてください。きっと、それについて考えることは、貴方にとって役に立つでしょう」
 ふくろうは降下を始めた。彼の話は終わりなのだろう。僕は、最後に彼と対等な話が出来たことを嬉しいと思った。とても素直に。
 地面に着いた。僕の家の庭。僕の部屋はカーテンが引かれている。きっと布団の温もりはもう完全に失われてしまっただろう。でも、それでも構わないと思った。僕はニットキャップをはずして、ふくろうに頭を下げた。「ありがとう、ふくろう」
 ふくろうは何も言わず、ただほうほうと鳴いた。首をくるりと回して、ちょっとだけ毛繕いをした。
 朝の空気は出来たての空気。胸一杯に吸い込んで、僕は空を見上げた。翼があればあの空を自由に飛ぶことが出来る。雨の日でも、風の強い日でも、そして満月の夜でも。街にも海にも山にも行ける。それはとても素晴らしいことだと思う。
 ほうほう、ほうほう、とふくろうが鳴いている。翼をしきりに羽ばたかせて。そして、彼は一度だけお辞儀をした。とても上品で、イギリスの紳士のようなお辞儀だった。
「ありがとう」と僕が言うと、ふくろうはにっこりと笑って飛び立った。そして僕の家の上をぐるりと一回回って、西の空へと消えて行った。別れ際には無駄な言葉は必要ない。そう、思った。

 ふくろうが去って行った空を、しばらく眺めていた。感謝の気持ちを込めて。
 僕はもう一度深呼吸をして、手袋を取り、玄関の扉を開けた。鍵をかけ、洗面所で顔を洗う。
 鏡に映った僕の姿を見て、僕は少し複雑な気持ちになった。翼が消えていたのだ。どうして突然翼は消えてしまったのだろう?
 突然生えていた黒い翼。突然消えてしまった黒い翼。一夜の出来事。不思議な出来事。顔をふっくらとしたタオルで拭いて、僕は冷たい布団に潜り込んだ。
 目を閉じると、瞼の裏に満月が見えた。きらきらと光る海も、森の重苦しい暗闇も見えた。
 ゆっくりと呼吸をすると、微かに海の匂いがした。あれだけ強い海の匂いを吸い込んだのだから、しばらくは残り続けるだろう。もしかしたら二度と消えないかもしれない。それならそれで、とても喜ばしいことだ。僕はその匂いを手掛かりにこの不思議な夜のことを鮮明に思い出すことが出来るだろうから。
 頬に触れると、そこにまだ風が引っかかっているような気がした。指先にも、つま先にも、鼻の頭にすら。
 ふくろうは、僕に幾つもの大切なことを教えてくれた。ちょっとだけ考えていたことがある。もしかしたら、ふくろうは僕を子供から大人に成長させるために、僕を夜空に誘ったのかもしれないということ。誰もがこうして一夜の哲学を乗り越えて、大人になってゆくのかもしれない。だから僕の背中にあの翼が生えたのだろう。
 突然消えてしまった翼。いつ消えたのだろう?もしかしたら地面に降り立ったときに消えてしまっていたのかもしれない。ふくろうは別れ際に何かを言って、それでも僕の背中には翼がないからそれを聞き取ることが出来なかったのかもしれない。そう考えると、少しだけ苦しくなった。
 ふくろうは最後の何を言い残そうとしたのだろうか?
 僕の翼は、僕に何を与え、そして奪って行ったのだろうか?
 寝返りを繰り返して、僕は考えた、窓の外ではもう朝日が街を照らしているだろう。もちろん海も、山も。
 あの聞き取り辛い声で、僕に何を告げようとしたのだろうか?
 別れが来れば、当然のごとく再会も訪れる。僕はそう前向きに考えた。
 もしももう一度ふくろうに出会える時が来たら、僕は最後の言葉を聞くのだ。
「あの時、君は何って言ったんだい?」と。ふくろうはほうほうと鳴いて答えてくれるだろう。
 その時のことを考えて、僕はゆっくりと眠りに落ちていった。

 後日談になるが、僕はその後数日学校を休むはめになった。風邪を引いてしまったからだ。
 でも、風邪が治ってからは少しだけ大人になったような気がした。走ることが好きになった。風を切って飛ぶ爽快感に良く似ているから。
そして、翼はもう二度と生えることはなかったし、ふくろうは二度と僕の窓辺で僕を呼びはしなかった。
 あの夜は、今でも僕の宝物だ。
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