愛のカタチ


1.

掌を重ね、僕らは互いの体温を分かち合う。共有する。
ぎこちない指の動き、洩れる熱い吐息。絡み合い、そして離れてゆく視線。全てが互いを感じさせてくれる。
胸の鼓動はとうの昔に破裂した。それくらいに高鳴っている。
きっと彼女も僕と同じなのだろう。顔を見れば分かる。
そんな些細な共通点でも、今は嬉しい。
こうして、肌を直に触れさせることが出来ることが。
「私、おかしくなりそう……」
「大丈夫、僕はもうおかしいかもしれない」
理由にもならない。ただ、そう口にすることで自分を保つことが出来る。
彼女も少しだけ緊張が薄れたのか、口元に淡い笑みを浮かべた。
その表情が、とてつもなく淫靡で、僕は自分が遠くなってゆくのを実感していた。
もう、戻れない。
「キス……しても良いよね?」
そんなことを聞いてみる。答えは決まりきっていたとしても、どうしても聞きたかった。
彼女の反応が見たかった。
「うん……」
幸せそうに見える。瞳を閉じ、唇を軽く合わせている、いつもと同じ顔が、いつもと違う距離で、いつもと違う感情を湛えてそこに在る。
顔を近付ける。乱暴にならないように、とそんなことばかりを気にしていた。
これが、最初のキス。
軽く、それでもしっかりと合わさった唇からは、彼女の熱が伝わり、僕は興奮した。
そして、それ以上に満足していた。
満足しているのに、渇きを覚えた。
どんどん自分が貪欲になるのを遠くに感じ、僕は唇を名残惜しそうに離していった。
「……何だか……不思議な感じだね」
照れくさいのだろう。はにかんだ笑顔を浮かべ、指で唇をなぞっている。
心なしか赤みを増した唇が、僕の瞳に焼きついた。
この光景は、二度と忘れることは出来ないだろう。


2.

君の体に、僕の痕を残そう。
僕が存在した痕を。
君はその痕を見る度に今の痛みと恐怖を思い出す。
醜悪な、僕の顔と共に。
これから君は幾人もの男に体を許すだろう。
それでも、僕以上に君を傷付けることが出来る男は現われない。
これは、呪いだ。
君はもう、僕でしか感じることは出来ない。
僕でしか、愛を得ることが出来ない。
恐怖と共にしか、快楽を得ることは出来ない。
拒絶することでしか、求めることは出来ない。
痕を見てくれ。
君の美しい白い肌に深く残る、この痕を。
それは心まで届いているはずだ。
そう、僕が望んだのだから。


3.

僕は君を抱き締めない。
君は僕に抱き締められるのを待っているだろう。
その形の良い小さな頭を僕の胸に当て、高鳴る心臓のメロディを聞くことを望んでいるだろう。
だから、僕は君を抱き締めない。
君は、きっと失望してしまうから。
僕の胸は、高鳴ってはいないのだから。
君を抱いても、何も変わらないのだから。
僕は君にキスをしない。
君は僕のキスを待っている。
薄くピンクのルージュのひかれた、細い唇。顔の中で一番敏感な場所。
君が自分で一番好きな部分。
それを僕と結び、淫らに互いを求めることを望んでいる。
だから僕は君にキスをしない。
僕はキスするとき、瞳を閉じることは無いから。
冷たい瞳で、何も無い空間を見つめているから。
君の求める言葉を探ろう。そして、それを言わないでいよう。
君が僕に近付けば近付くほどに、僕が悲しくなるから。
君と僕との違いを浮彫りにさせてしまうから。
君はそれでも僕を求めるのだろうか?
僕が君に与えられるものなんて、何一つとしてないのに。
だから僕は君に何もしない。
手を繋ぐことすらしない。
君の悲しい涙を見るのは耐えられないけれど、それもすぐに忘れてしまう。
君は、僕の側から離れた方が良い。
世界は、こんなにも広いのだから。
君は、僕に期待しているだけなのだから。
ちょうど良く手近にいた僕に。


4.

君が愛しているのは、僕じゃない。
僕に愛されている、自分だ。
だからたくさんのものを求める。
たくさんの行動を求める。
自分が一番大切だから、僕にも大切にしてもらいたがる。
そう言ってしまえば、互いに傷付くことなく離れられたのだろうか?
あんなにも君を哀しませることはなかったのだろうか?
君は泣いていた。でもそれは、自分が大切だったからじゃないのか?
裏切られた自分が可哀想だったからじゃないのか?
そう思ってしまったから、僕は君を愛せなくなった。
君を愛していたから、とても辛かった。
僕を愛してくれなくても良かった。ただ、側にいてくれるだけで幸せだった。
僕の左で、向日葵のように微笑んでくれているだけで良かった。
君に何も求めなかった。それはとても傲慢で贅沢な行為だと思ったから。
それでも、君は確かなものばかり欲しがった。
服、指輪、ネックレス、靴、言葉、愛、体、車、そして……
僕の夢。
君は本当に僕を愛していたのだろうか?
僕の持っているもの、手にしようとしているものを愛していたんじゃないのか?
骨の髄まで物質文明に毒されていたんじゃないのか?
僕は君を愛していた。君は自分を愛していた。
たったそれだけの違いが、二人を別れに導いた。
君は泣き、僕は虚ろになっていった。
とても、とても虚しい恋だった。


5.

二人の恋を振り返る時が来た。
その時が、来てしまった。
「結構、楽しかったわよ。……まあ、辛いこともあったけどね」
僕は君を泣かせることしか出来なかった。
「そんなことないわ。私、貴方と一緒の時間を気に入ってたの。ホントよ?」
始まりがあれば、終わりは当然訪れる。
その時を、君は笑って告げようとしている。
僕らの時間を始めたのも、そして終えるのも、君。
僕は、君に何をしてあげられたのだろう?
子供のように君を求めることしか出来なかった。
君が好きで、君に笑って欲しかった。幸せになって欲しかった。
そんな願いは、もう叶わない。
「でも、ね……貴方は私を見てくれないんだもの。もう、疲れたのよ」
そう言う彼女は、やはり笑っている。
僕の大好きな笑顔でなく、本当に疲れた笑顔。
こんな笑顔をさせる自分に、苛立ちが募る。
「だから、もう終わりにしましょう?」
その言葉が現実のものとは思えない。
現実とは、認めたくない。
僕は君が欲しくて、君しか要らなくて、君だけがいれば良くて、それで……
「そんな顔をしないでよ。元の二人に戻るだけなんだから、さ」
それでも、元気に振舞う君が恨めしい。
僕は、どんな顔をすれば良いのだろう?
「今度は、もっと素敵な人と巡り会ってね。私よりもずっと、貴方を抱き締めてくれる人に……」
僕は、君の胸に抱かれているだけで良かった。
それが、最高の瞬間だった。
永遠を信じてしまうほどに……
でも、この世界に永遠など望むべくもなく、無情にも終局は訪れる。
忘れていた訳じゃなく、認めたくなかっただけだ。
「さよならって言うのは、とても勇気が必要なのよ?お願い、分かって……?」
その言葉が疑うことなく現実のものだというのなら、二人過ごした日々にはどんな意味があったのだろう?
後悔、している。
もっと優しく出来たはずだ。もっと楽しませることが出来たはずだ。もっと抱き締めることが出来たはずだ。
もっと、愛することが……
愛に応えることが出来たはずなのに、僕はどうしてそれをしなかったのだろうか?
「さよなら。明日からは、もう普通の友達ね」
君の最後の言葉は、僕の全てを砕いた。
僕は、子供のように泣き崩れるしかなかった。
初めて、彼女をどれだけ愛していたのかを実感した。
全ては、遅過ぎただけだ……


(そして、最後に少しだけ僕の本当の気持ちを)

恋愛というものがどうしようもないものに思えて仕方ないのは、きっとおかしな知識を身につけてしまったからなのだろう。
人間の体と心は密接な繋がりがあり、その実曖昧なものらしい。
緊張しての動悸も、胸のときめくドキドキも、体にとっては同じ。
体にとって同じなら、それは心にとっても同じになってしまう。
本当かどうかは分からないが、俺はそれを信じた。
シュチュエーションに恋をするのは、現実にあり得ると思っていた。
過去の経験と照らし合わせると、全てが当てはまったから。
高校の入学式、緊張の中で見た少女に恋をした。
仕事中、運動をして息があがっている時に見た女性を愛した。
例を挙げれば限がない。
人間の心というのは、とてもいい加減に出来ていると、改めて認識してしまった。
俺は、心を憎むようになってしまった。
自分がどんどん虚ろになってゆくのを実感した。
恋が、出来なくなった。
恋愛の手前で、どうしても思ってしまう。
「ああ、この女は俺でなく、シュチュエーションに恋をしている」と。
でも、同時に思う。
「そんなことはどうでも良い。言葉にして初めて気付く想いだって多々あるじゃないか」
何が正しい恋で、何が偽りの恋なのか、分からない。
誰を愛して良いのか、分からない。
自分自身を愛するという行為だけはしたくない。
そんな、哀しい一人舞台は嫌だ。
誰かが欲しい。本当の恋を知っている誰かが。
街行く恋人同士の大半が偽りの繋がりに見える俺には、無理な話かもしれないが。
いい加減な心と体を抱え、俺はその一人を探す。
でも、本当は分かっている。
この世界には、本当も嘘も問題としないほどに強い愛があるということを。
ただ、それを体験したことがないだけ。
だから、俺は哀しい日々を過ごす。
決して満たされることのない、虚ろな日々を……

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