先生!
裸足で走っていた。
決して広くは無い校庭を、笑いながら走っていた。
彼の瞳は、何処までも澄み渡った夏の空を写し、優しく輝いていた。
負けず嫌いだったのは、いつまで?そして、いつから?
ゆっくり考えてみよう。
負けることは、仕方の無いこと。ただ相手の方が自分よりも努力をしていたってだけのこと。
負けず嫌いなのは、相手の努力を認めないことだと思った。
相手を認めることで、自分は弱くなった気がした。
でも、本当の負けず嫌いは違うところにあった。
イヤだから、頑張る。それを教えてくれたのは、きっとあの先生だったはずだ。
最近になってやっと気が付いた。
身長の低い、丸めがねをかけた先生の言葉が、今になって響く。
正確に思い出せるのは、何一つとして無い。
最も響くのは、写生大会の時の言葉。
「これが貴方の心なんだよ!」
先生、あの言葉は今でも僕の根底にあります。
どうでもいい。そう口にする度に、あの言葉をかみ締めます。
牛の絵を描く。それが小学一年の写生大会のテーマだった。
俺の通っていた小学校は、とにかく田舎で、周りには牛小屋や豚小屋や田んぼや畑がひしめいていた。
都会のビルと同じくらいの頻度で、田舎の匂いのするオブジェが陳列されていた。
そんなところで育った。
学校からてくてく歩いて五分、目的地は友達の親の経営する牛小屋。
一列になって歩くのは、無性に楽しくて、はしゃいだ。何度も先生に怒られた。
それでも懲りないのが子供ってもんで、当然着いてからも馬鹿騒ぎをしていた。
絵を描くなんて本来の目的は、しっかり忘れていた。
当然だ。何をするにも取り敢えずはしゃいでいたのが当時の俺だ。友達数人を道連れにして、絵を描くのもそっちのけで、牛を構う。
実際、間近で本物の牛を見るのは初めてだったし、小学初めのイベントということもあった。言い訳はこんなもんで……
知的障害者も一歩引く位のはしゃぎように、先生も辟易したのだろう。
鬼のように怒ったのも初めの内だけで、やがて放置されるようになった。
そうなると面白くなくなる。そういうものだ。
慌てて牛を描き始める。
2Bの鉛筆で画用紙に書きなぐる。画板に磔にされた白い紙が、だんだんと牛らしき物体を浮き上がらせる。ある程度描けると、夢中になった。話をしながら、良く観察もしないで。
春の心地良い日差しと、牛小屋の咽帰るような"生"の匂い。それに翻弄され、集中力はあっという間に品切れになった。そして……
画板から、画用紙が消え去った。
風だったのか、自分で投げたのか、それすらも覚えていない。
濡れてグチャグチャになった、不細工な牛の描かれた画用紙。先生はそれを見てどう思ったのだろうか?言われた言葉が、あの言葉だった。
心、という言葉の意味は理解出来なかったが、無性に悔しかった。
先生は、その後の俺の絵を見て認めてくれたのだろうか?
描き直した絵は、賞を貰った。それが答えのような気がした。
裸足で遊ぶことを教えてくれたのも、先生だった。
今は名前も思い出せない先生。お礼を言いたくても届かない先生。
だったらこれからの人生でそれを示すしかないんじゃないか?
今までは全く駄目だったとしても……
大切なことは、言葉には出来ないし、する必要もない。
きっと、誰もがそれを持っている。与えられている。
自分の前の世代を信じることは、自分を信じることに繋がる。
自分しか信じられなくても、その自分を作ってくれたのは、前の世代だから、絶対に信じるべきだ。
思い出そう。あの子供の頃を。
それは傷しか無くても、その傷の与えてくれたものは、輝くから。
迫害されたのは、自分が悪いからだったんだ。そう、素直に言える。
本当に痛かったのは、馬鹿しか出来なかったこと。
もっと優しく出来たはずだ。もっと正しく出来たはずだ。
そう、後悔しよう。
先生、僕は今こんな人間に成れました。あの日の先生は、本当に恐かったけど、それよりも感謝をしています。
貴女の声が、今も聞こえます。その度に、僕は笑ってしまいます。
「俺もガキだったな……」
そう、素直に思えます。
だからこそ、今でもあの悪ガキのままで、僕は頑張っています。
あの牛の絵はどこかへ行ってしまったけど、あの時の嬉しさは失ってはいません。
先生が、僕を作ってくれました。ここで、"心"から感謝したいと思います。
ありがとう、先生!