君に逢いたい


 君の面影を探す。この部屋の中で。
 どうしようもなく、今この時に、君が恋しい。
 君の笑顔が思い出せない。
 君の温もりが思い出せない。
 君と交した言葉が思い出せない。
 あんなにも、そしてこんなにも君が好きなのに、何も無い。
 この部屋に君が訪れたのは過去に一度だけ。それももう、過ぎ去った青い春の出来事でしかない。
 僕は、君の温もりを求めて、車のシートに触れる。でも、とうの昔にその温もりは風に消え、君の放つ煽情的な香りも、消えてしまっている。
 無償に風が憎くなった。僕から君の記憶すらも消してしまったあの風。
 あの風を追いかけるのか?そうすれば取り戻せるのか?
 いや、そんなことをしても不毛なだけだ。
 君はここにはいない。君は二度と笑いかけてはくれない。
 二度と、逢ってもくれない。
 声を聞くことですら、許してはもらえないのだろう。
 こんなにも、君を愛しているというのに……
 いっそ気がふれてしまえば楽になれるかもしれない。
 でも、僕にはどうしても、それこそ君を失っても欲しいものがあったから、狂うことは出来なかった。
 それは、本当の意味で狂うのか、それとも君に狂うのか、どちらでも。
 君はそれを勘違いしてしまった。
 もしかしたら気がついてしまったのかもしれない。
 でも、僕は君を愛している。
 君が隣にいるだけで、全ての苦痛が感じられなかった。
 この現実の全てを、忘れられた。
 その時間を僕は何よりも大事にしていたんだ……
 伝わらなかっただけだ。僕の祈りと想いが。
 たったそれだけなのに、何でこんなにも今が苦しいのか?
 君がいないだけなのに……
 君を深く愛してしまうほどに、僕は冷静であることを強要された。
 この感情に飲み込まれてしまえば、僕は僕でなくなってしまうから。
 実際に君は僕の本心を許容し切れなかった。それが分かっていたからこそ、僕はいつでも自分を保っていたんだ。
 なのに、もっと情熱的になんて簡単に言ってくれるなよ。
 必死で煩悩を押さえていたのに。君を傷付けないように。
 現実に裏切られるのは、僕だけで充分だろう?
 傷の舐め合いはごめんだから。
 心に穴を開けるのは、僕だけで充分だろう?
 こんなにも辛い現実と戦わなくちゃならないなんて。
 君に僕の闇の全てを包み込んでもらえると、そう思っていたのに……
 君は僕よりも自分を取ってしまった。
 元々そういう自分本位な所が気に入っていたから、それを責めようとは思わない。
 でも、他の男にホイホイついて行くなんて、卑怯じゃないか?
 君は僕と他の男を天秤にかけた。それは最低の行為じゃないか?
 それでも君を愛しているのは、君が必要だからだったのに……
 本当に、好きなのに。
 君は電話もくれない。逢ってもくれない。
 僕のことを思い出してもくれない。
 残った温もりを胸に抱くことすら許してくれない。
 忘れるほどに、君を愛してゆく。
 これはもう病気だ。
 死に至る病だ。
 君に全てを捧げたから、君がいないと僕は何も無い。
 だから、僕は何も出来ない。君がいないから……
 このまま無為な時間を蓄積させるだけの人生なのだろうか?
 君がいないから。
 ああ、この溢れてしまった感情は何処に捨てれば良いのだろうか?
 この精神的産業廃棄物の山を。
 心の核廃棄物の山を。
 届かぬ祈りの、言えなかった言葉の、幻の、愛の、山を。
 誰に見せれば良いのだろうか?
 今、君に逢いたい。

 それでも僕は日々を生きて行くしかない。
 これは自分で選んだ道だから。
 誰に与えられたものでもなく、誰に強制されるものでもない。
 君がそれをどうこう言うことは、許さない。
 いくら愛する君の命令だとしても、僕はこうして自分を探し続けるしかない。
 君の全てが幻だったとしても、今日までの日々は夢じゃない。
 儚く消えるだけの泡なんかじゃあない。
 だから、僕は歩き続ける。君に逢いたい気持ちを胸に。
 愛しているなんて言葉は、ドラマ以外じゃあ使うものじゃないのかもしれない。
 現実に持ち込めば、どうしても嘘臭くなってしまうから。
 だから君は僕を捨てたのだろう?
 僕の気持ちが届いていたから……
 もしも一切届いていなかったのならば、君は何一つ恐れることはなかったのだから。
 君は最初から何一つとして失わず、そして傷付かなかったのだから。
 僕がそう気遣っていたのだから。
 君の笑顔が、今では思い出せない。
 瞳の鮮やかささえも……
 このままただ風化してしまうだけならば、どんなにマシだろうか。
 でも、今ではこの想いだけが、膨れ上がっている。
 宇宙は膨張し続けているらしい。
 僕の想いは最早宇宙と同じだ。
 全てを受けとめ、抱きしめ、消えることはない。
 でも、君はここには居ない。
 君の言葉は意味を失ってしまった。
 ただ、記憶の隅にこびり付いただけの傷でしか無い。
 それを改めて認識しよう。
 傷を糧に、翼を広げよう。
 もう、ただ眠っているだけの日々には飽きたから。
 もう充分堪能したから。
 いつか、僕がこの道を突き進み、辿り着いたのならば、君は僕を振り向いてくれるだろうか?
 そう、勝手に期待していても構わないだろうか?
 きっとそれは僕の原動力になるだろうから。
 君に逢える日を待ち望み、努力出来るだろうから。
 逢いたい想いが僕を導くから……

 剥き出しの情熱を武器にして、僕はこの日々を過ごしている。
 君の面影は探しても見つからない。
 探すことが苦痛にしかならなくても、この想いは止められない。
 現実に生きている僕らは、歩みを止めることすら許されない。
 だから僕は夢を見ている。
 甘く優しい、最高の夢を。
 それを現実に持ち込まないことで、今はなんとか自分を保っていられる。
 眠気の覚めない頭を無理矢理働かせて、立っている。
 重く圧し掛かるだけの頭痛には、もう慣れた。そしてその痛みにも……
 これが生きている証だというのなら、君の付けた痕こそが僕の人生の最高の証だと思う。
 命を絶つことすらも許されないまでに、君を愛していたのだから。
 でも、君を失ってしまった。
 もう死んでしまっても構わないのかもしれない。
 でも、僕には義務があるから、死という完全なる終結すらも迎えられない。
 何処に行けば、何をすれば、終われるのだろうか?
 君がその鍵だったというのに。
 だから、君に逢いたい。今すぐに。
 この胸の内をブチまければ、僕は幾らか楽になれるのだろうか?
 過去に何度も失敗しているというのに。
 本当に生きているということを確かめたくて、僕は想いの全てをぶつけて生きて来た。
 でも、誰も僕の本気を受けとめてはくれなかった。
 多分、鬱陶しかったのだろう。
 僕も親しくない奴から本気をぶつけられた時には、煩わしくて逃げ出してしまったのだから、君を責めることは出来ない。
 君は僕のものではなかったのだから。
 僕は僕だけのもので、君は君だけのもの。
 そんな当然のことすらも忘れてしまうほどに、君にのめり込んでいたのは現実だったのだろうか?
 今となってはそんなことすらも思い出せない。
 外は今、雨が降っている。
 日付が変わった。
 明日の朝は日の出と共に目を覚まさなければならない。
 これが僕の選んだ日常の正しい姿なのだから。
 誰にも邪魔のされない人生を選んだのは、他でもない僕自身なのだから。
 君は今、きっと愛しい誰かの胸に抱かれ、安らかに寝息を立てていることだろう。
 それを想うだけで、僕は眠れなくなってしまう。
 無限の思考の回廊に落ち、二度と這い上がることが叶わなくなってしまう。
 だからこうして言葉を連ねる。
 無駄とも思える時間を費やしてまで、祈りを綴る。
 君に逢いたいという気持ちだけを抱いて、君以外の人の夢を見る。
 それが今の僕の唯一の望みなのかもしれない。
 現実には君に逢えないから。
 こんなにも、逢いたいのに。
 夜は明け、日常は僕を苛むだろう。
 君の付けた痕をより一層深いものにしながら……

 行き過ぎた執着心は愛と呼んでも構わないのだろうか?
 ならばあの時の僕の感情の名前は、愛という名で呼んでも良いのだろうか?
 今となってはどうでも良いこと。
 ただ、君の面影は薄れ、思い出すことすら叶わないというだけのこと。
 たった、それだけのこと。
 日々の記憶と同じく、ただ薄れて行くだけのこと。
 過去を思い出そうとすると、どうしても美化されてしまう。
 君の笑顔は思い出せないというのに。
 恋のゲームを楽しむかのような君の仕草に、僕は苛立ちを募らせた。
 余裕なんて、無かった。
 君を繋ぎとめる鎖を、僕は持ってはいなかった。
 それが、悔しかった。
 僕はこんなにも自由を奪われてしまった。
 こうして考えることですら、自由ではない。
 思考の大半は君に奪われてしまった。
 君の面影を思い出すことだけに使われている。
 逢いたい気持ちを無視するためにのみ、費やされている。
 思い通りにならないことを楽しんでいた。
 でも、望み通りにならにことだけは、許せなかった。
 手を伸ばし、君に触れることが出来る距離。
 それが永遠のものになれば良かったんだ。
 魂までもは欲しくなかった。
 そんな曖昧なものは必要無かった。
 欲しかったのは、現実だけ。それは事実だけ。
 真実という価値の無いものには、見向きもしなかった。
 でも君はきっと"真実"という甘い言葉に魅惑されていたのだろう。
 僕はそれが大嫌いだった。
 好きだから、嫌いだった。
 恐いのは薄れてしまうこと。
 あの感情の全てが水に溶け込んでしまうこと。
 今、ゆっくりと薄れて行くのは止められない。
 どうにもならない時間の経過だけが憎くて、僕は進むことを恐れてしまう。
 それは自分の全てを凍結させてしまうことに他ならない。
 これは呪いなのだろうか。
 君を理解出来なかったことに対する、ツケなのだろうか。
 だったらそのツケを払うためだけでも構わない。
 君に逢いたい。

 届かない言葉を連ねるのは、終わりにしなければならないのかもしれない。
 僕はもう、歩き始めなければならないのだから。
 君に逢いたいと思う夜は、歩いていれば過ぎてしまうのだろうから。
 だから、ここに憂いの全てを置き去りにして行こう。
 君を愛していたという過去を放置して行こう。
 未来は待っている。でも、自分から向かわなければ訪れることは永遠にないのだから。
 だからここから始めよう。
 苦悩と栄光の日々を……


 
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