死に至る詩
体の中に、ぶよぶよとしたゼリー状の物体が在る。
それはいつでも形を変え、温度を変え、色を変え、そして僕を変える。
きっと誰もがこのぶよぶよと一緒に生きているのだろう。そう思っても何一つとして解決は出来ない。
ちぐはぐな言動が増え、ちぐはぐな行動が増え、僕は何処へ行っても間違っているような気がしてしょうがなかった。
こんな気分のスタート地点は、良く分かっている。全ては過ぎて、遠い昔のこと。手を伸ばしても指先すら触れることは出来ない。
自分をなくしたのは、いつのことだった?
恋をしたこともあった。それを愛と言ったこともあった。
今思い出してみると、ただ懐かしいだけ。それだけ。
ほろ苦い思いも、せつないときめきも、何もない。
今はただこうして、閉ざされた扉の向こうに広がる荒野に、足を踏み出せない。
秋の並木道を君と歩いた。僕は前だけを見ていた。
君が隣にいたから、僕は真っ直ぐに生きることが出来た。
失敗だったのは、君の中のぶよぶよを理解出来なかったこと。
僕は、自分を飾って君を手に入れた。飾りを取り外した僕に、君は失望した。
誰からも羨望されるような、そんな人間になりたかったらしい。
今でも時折君のことを思い出す。でも、それはただ懐かしいだけで、僕はそれ以上何も思わない。
君の顔が、思い出せない。
寝た。
布団の匂いと、汗の匂いだけを覚えている。
僕の精液は君の肌に飛び散り、とても不快な匂いで君にしるしを付けた。
君は、僕のものだと名付けた。
ぶよぶよが形を変え、一つの岩になった気がした。
それすらも、今は懐かしいだけで、何もない。
別れ際、電話越しに聞こえた君の涙が、思い出せない。
仲間がいた。生涯を共にするべき仲間が。
はしゃいで、頑張って、走って、僕らは本当の仲間だった。
目指す場所は、夢見た場所。
世界はそれを許さなかった。
僕らの背中には大きな重りが乗せられ、今でもその重りは取れない。多分一生取れることはないだろう。
足取りが重くなり、前に進むことが恐ろしくなった。
手紙を書いた。古い友達に。
返事があったのは、一人だけ。
その一人も、僕とは違う人生を歩んでいる。当然だ。
ぶよぶよは、やがて空洞になっていった。
夏の終わりに、夢を見た。
最高の場所、最高の仲間、最高の舞台。
冬の始まりに、夢は壊れた。
僕の価値は、ゼロになった。
ここから始めれば良い。また歩き出せば良い。
そんな綺麗事は嘘にしか聞こえず、僕はただ悶えるだけ。
掌が軋んで行く。
夢は遠ざかって行く。
見えない物が欲しいなら、どうすれば良いのだろう?
疑問に答えはなくとも、今いる場所で踏みとどまるしかない。
後退は出来ず、前に進むには何かが足りない。
僕は今、ここに立っているよ。
君が腕を引き、背を押してくれなくては、何も出来ない。
ただ、待っているだけ。
夜に爪を立てる。
朝に叫びを上げる。
昼は夢を見て、夕暮れが僕の背中を叩く。
「もっと、もっと本気を出せ」
分かっている。だから僕はこうして、悶えている。
何も掴めない掌は、あの頃よりも年老いて見える。
命の価値なんてない。それを体感していた。
死は隣にいるのではない。死はあの場所にいる。
白く、温かな光の中に、彼は居る。
ただ、僕らはそこを目指して歩いているだけだ。
分かっている。自殺願望があるってことは。
でも、死んで全てを終わらせる勇気はない。
見苦しく生きて、そして死ぬだけ。
はっきりと言ってくれれば良かったんだ。
「お前は、どんなに努力しても駄目だ」と。
そうすれば諦めることも出来た。違う場所で生きることも出来た。
何も答えがないと、期待してしまうだろう?
「努力すれば何にでもなれる」
そんな綺麗事だけの空っぽの言葉を、口に出してしまうだろう?
努力って、何だ?
リズムが聞こえる。ドラムのリズムが。
取り返しのつかない失敗なんてない。嘘に思える。
僕は戻れない。もう、あの気持ちには。
真っ直ぐな瞳も失った。頑なな信念も失った。
子供の頃に使えた魔法も、もう使えない。
体は軋みを上げ、今に不平を上げる。
魂は灰色に濁り、小さく、酷く小さくなってしまった。
夢に手は届かない。これは呪いだ。
呪いはリズムとなって、取り返しのつかない日々を示す。
光はここに届かない。
君がいれば良いと思う。こんな孤独な夜には。
君と抱き合って、重なり合って、一つになる。
それ以外のもやもやは忘れて、快楽に身を堕とす。
それが良いと思う。それ以外、何もしたくない。
一人は嫌。でも、二人なら……
もっと自分が嫌になる。
分かっている。自分がどんな人間なのかってことは。
その内それにも飽きて、どうするのかってことくらい。
でも、一段飛ばしに階段を上ることは出来なくなってしまった。
時間がかかるのは仕方がない。
俺は大器晩成タイプなのだから。
例え器が小さかったとしても。
なりたいという気持ちだけが先走って、僕は置いて行かれてしまった。
どうして、どうやって、何を求めてなりたいのか、それもわからないままに。
気持ちは今、どこにいる?
分かっている。なりたいという気持ちがなければ何も出来ないということくらい。
そして、気持ちだけでは何にもなれないということも。
空っぽの魂は震えることを知らず、渇いた瞳は濁っている。
不安はいつでもある。そろそろ慣れても良いんじゃないのか?
僕は、悩むのが好きらしい。
世紀が変わっても何も変わらない。
世界がどうなっているのかには興味の欠片もないが、僕の周りでは何も変わらない。
相変わらず僕の周りからは多くのモノが去って行くし、手に入れたいと望むものは手に入らない。
ただ歳を重ねることが人生だというのなら、僕の人生は終わらないだろう。
永遠があるというのなら、こういった無為な時間の中にこそそれはある。
飛び出すことと逃げ出すこと。どっちが有効かを考えてみる。
……僕は何も出来ない。逃げ出すのなら、もっと退屈な時間が僕を襲うだろう。
飛び出すために必要なものは、勇気。僕には一片も残されていない。いや、始めから持ち合わせてはいなかった。
時間が過ぎても、僕はここに立っている。やがて座ることがあっても、それは何も変わらない。
去って行く様々なものを、横目で見ているだけ。手を伸ばしても、届くはずはない。
動けないのだから。
自分を好きになるのなんて、とても簡単だ。
他人の悪いところを探していれば良い。
そして、そんな駄目な自分を棚に上げていれば良い。
目を塞げば良い。どうせ見えるものなんて無いのだから。
ほら、自分が好きになれるだろう?
サングラスをかけている。別にカッコつけているわけじゃない。
僕の視線は全てを汚す。それでも瞳を閉じて生きることは出来ない。
それなら、せめて僕の瞳を見て他人が嫌な気分にならないようにと思って、サングラスをかけて生きている。
きっと、僕はしわくちゃの老人になってもサングラスをかけ続けるだろう。
浸っているわけでも、カッコつけているわけでもない。
僕は、その視線で世界を汚してしまうだけ。
幼い頃から死ぬのは恐くなかった。
あの頃は、苦しむことの方がずっと恐かった。
痛がりだった。
あっさりすっぱり死ぬことが望みで、そのためなら死んでも良いとも思っていた。
今、僕は苦しんで死にたい。
世界の全てを呪って、苦しみ抜いて死にたい。
そうすれば、全てのことに意味が出て来るような気がする。
苦しむために生まれてきたと、そう言える気がする。
これは価値の無い日々の歌ではない。
これは嫌いな自分の歌う、死に至る歌だ。
世の中の誰も彼もが慰めてもらいたがりだ。
当然、僕も。
でも、慰めるべき相手も慰めて欲しくて慰める。
慰めは何も生まず、ただ次の慰めを生む。
僕はそんな繰り返しの中からはじき出されてしまった。
誰も僕を慰めない。僕は誰も慰めない。
孤独?そうかもしれない。
何も分からずに、体の中のもやもやだけが友達。
どんな自分になりたかったんだろう?
明らかに言えることは、自分が自分になれていないということだけ。
誰でもない僕は、自分になれていない。
どんな自分になれるのだろう?
なりたい自分は、はっきりしているというのに。
風の音が聞こえる。部屋の外を吹き抜ける冷たい風の音が。
でも、それよりも強く聞こえる風の音。
言わなくても、分かるだろう?