生きていることが罪なのならば、
それを償う罰は一体何なのだろう。
生き続けることで、更に罪は増えてゆき、
それに見合った罰はあまりにも少な過ぎる。
不幸なんて言葉は あり得ない。
まだ俺達には罰が足りないのに…
全ての道は 神の意志。
正しきところへと導かれてゆく。
それは時に試練となり、俺を苦しめる。
それは時に幸福となり、俺に永遠を見せてくれる。
永遠とも思える幸福は、必ず一瞬でしかなく、
それが神の試練なのか、運命の贈り物なのか、それですら
判断できない。
が、それでも俺達は不幸じゃない。
罪を償えない身で、一瞬でも幸せになれるのだから。
俺もそうだが、全ての人は罪を知り、罪を認めてはいても、
罰を受けようともしない。
あの人が言った。
“全てが罪なのは認めるが、罰を受けてるヒマはねえ”
その通りだ、と思う。
俺には義務があり、使命があり、手段がある。
そして、制限された自由が。
それは罪でしかない人生の中で、それを償うための
唯一の手段。
苦しみ、嘆くことが償いではなく、
ただ死んでいくことが償いではないのだから。
すりかえてはいけない。どんな時も。
傷を受け、疲れ果て、立つ気力を失っても、
あきらめてはならない。
そう、生き続けることが、罰なのだから。
そして、こうして人生を重ねてゆくことは、
罪でしかないのだから
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