俺達は時間を切り売りして生きている。
一日の大半を売り、そして得た糧で
時間を買う。
それは幸福を買うこととは違う。
どんな物を買っても、結局は時間が絡んでしまう。
音楽を聴く 時間 を買い、
本を読む 時間 を買い、
現実を忘れるための 時間 を買う。
休息すらも買っていることに、貴方は気付いているのだろか?
売る時間の内容によって
得られる糧は変わってくる。
金額が変わる。
辛い思いをした時間を売れば高い金額が得られるというものでもない。
それまでに得た技能を最大限に生かすことができれば
得られる金額は大きくなる。
その技能すらも時間を売って得たものなのだから。
人生の大半を売り捌いても
大した金額にはならない。
それは誰が買っているのだろうか?
それは、きっと自分以外の全ての人間。
製造業でも、営業でも、建設業でも、法律屋でも、学者でも、政治家でも、
他人の時間を買って生きている。
自分の時間を売り、他人の時間を買う。
そして、それは死ぬまで続く。
もしかしたら死んでもなお続いているのかもしれない。
誰かを悲しませる。それはその人の時間を貰っていることに他ならない。
だが、悲観することはない。
他人の不幸を純粋に悲しめるのなら、時間なんて惜しくはない。
他人と記憶を共有できるのなら、時間を費やす価値はあるだろう。
自分の栄光ある未来のためならば、幾らでも現在を売ってしまえばいい。
それらは取り戻せるのだから。
一人の求める時間を、大勢の人間が少しずつ与えてくれるのだから。
そうして、人間は連綿と続く時間のやり取りを繰り返して来たのだから。
貴方は自分の時間を正しく売り捌いていますか?
それは取り戻せますか?
時間は、ありますか?

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