彼の目を見つめてはならない。
彼の声に耳を傾けてはならない。
彼は一人でなくてはならない。
光差す、あの冬の朝も。
風が渡る、春の昼も。
彼には悟られてはならない。
波のように押し寄せる、彼の言葉。
音も立てずに引いて行く。
真の自由を求めてはならない。
意味も、理由も、事実も、
手にしてはならない。
彼は泣く。笑顔を歪めてまで。
狂ってしまいそうなほどに、甘いフレーズと共に。
裏に残されている水は、いずれ君を砕く。
石を投げてはならない。
奴の自由はすぐに奪われてゆくから。
炎を眺めてはならない。
そして、その身を投げるのも。
彼は呟く。
世界中の人々の絶望を。
闇の中で、ひとりで。
愛してはいけない。信じてはいけない。
求めてはいけない。探してはいけない。
生きなければいけない。
けれど、
彼は言う。
自由にならなければいけない、と。
弱い口調で、逃げるかのように。
彼は魔法を使い、時間に味付けをする。
それは全ての人にとっての幸せではない。
それは全ての人にとっての不幸ではない。
彼は悪ではない。
彼は善ではない。
独立して存在している。
無、であるとも言える。
有、であるとも言える。
彼にとっては全ての事実が退屈凌ぎでしかない。
彼の目を見つめてはならない。
きっと自分を失ってしまうから。
彼の声に耳を傾けてはならない。
きっと狂ってしまうから。
彼は一人でなくてはならない。
貴方が守られていることに気付いてしまわぬように。
愛されているという、偽の記憶を手にしてしまうから。
自己を確立させてしまうから。
貴方も一人でなくてはならない。
他者に求めてしまうから。
夜空に必要なのは、月と星だけ。
その上太陽まで求めるのと同じだから。
私は死んではいけない。殺されなければならない。
彼に。
彼の手を取り、彼と共に踊らなければならない。
雪は降り続き、枯れ木は潤うことはない。
風は吹き荒れ、水面に波紋は立つことはない。
彼に殺されて、死んではならない。
止めてはならない。時の歯車を。
鳴らしてはならない。福音の鐘を。
彼は生きていてはならない。
否定されて、なお生き続けている彼は、私にとって邪魔者でしかない。
そのはずなのに。
私は彼を愛してしまった。
求めてしまった。知ってしまった。
遅すぎる出遭いがもたらしたものは、
一瞬の充実感と、永遠の、
孤独だけ。
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